高技術は高付加価値とは限らない 2006.07.10
「高付加価値商品を作れば利益があがる」と言う製造業者は多いのですが、果たしてその意味を理解しているのか?疑問に思うことがあります。
クリエーターや職人、研究者、技術者、製造業者等「もの作り」を仕事にする人はどうしても高い技術力や品質こそ全てだと思っていることも多いようです。
「うちの商品はいいものなのに売れないんですよ」と言われて商品を見るとたしかに素材や縫製はしっかりしているんですけど、いまひとつ垢抜けていないということが多いんです。なんかセンスがいまひとつなのです。
だから、商品説明を受けても、なぜか「欲しい」という気持ちが湧きません。
機能や性能を説明されても、なぜか心が動かないのです。
なぜなら機能や性能、品質を高めても、それが買い手のメリットになっていなければ意味がないんです。意味が無いところで苦労しても報われません。
とにかく製品の物理的、機能的な部分だけでは付加価値は高めにくく、最後には、どうしても価格競争になってしまいます。
(しかし最低限の機能もなければ、選択肢から除外されます)
価格競争になるいうことは、高付加価値化に失敗している証拠です。
高付加価値化というのは、商品メリットを高めることで、低価格競争、短納期競走、コピー競走から抜け出すということでもあります。
「値段の割に安いから買う」のではなく「欲しいから買う」と、お客様が変わってくるのが高付加価値化に成功した後の状況ではないでしょうか?
さて、私の場合、メリットと機能・性能の簡単な判断基準は
「凄い」「うれしい」「かっこいい」「便利」「欲しい」など
感情を揺さぶる商品特性が「メリット」で、
「だから何なの?」と、見ても、聞いても気持ちが動かないような、開発者の意図が伝わらない糸の細さとか、何とか加工とか、なんとか成分配合だとかは、単なる「機能・性能」だと分けています。
メリットという場合、モノだけではなく、人との関係性の中で判断されます。
それは、自分にとってどんな価値を持つか?が重要です。
商品の物理的な価値以上に、喜びとか満足とかワクワク感を与えることが高付加価値化なのではないでしょうか。
だから、どんなに最高技術を使った製品でも、メリットがなければ高付加価値商品ではないと思っています。
むしろ競争力の無い単なる高価格商品になっている場合もあります。
私もこれまで、技術力、品質力を自慢する製造業者に数え切れないほど会いました。技術は高ければ高いほど良い、新しければ新しいほど良い、と思っている人が多いのも事実です。それは悪いことではありません。切磋琢磨して技術を高めていればこそ、目的意識を明確に持ったときに抜群に成長することができるのだと思います。
技術は高い低いではなく、目的に最適かどうか、メリットを生むかどうか、ということで価値を判断するべきだと思っています。
例えば今では使われなくなった古い織機で作った目の粗いテキスタイルが人気になるとか、倉庫に詰まれた古い在庫商品の中にバイヤーが喜ぶものが見つかる、というのは技術的側面だけから見ると理解できないでしょう。
技術も大事なのでしょうが、それ以上に技術が目的化するのではなく、技術はメリットを生むために有効に活用するもの、という意識をもっていただきたいと思います。